ポジティブ心理学の「志」と司馬遼太郎(前編)

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ポジティブ心理学の「志」と司馬遼太郎(前編)

二十一世紀に生きる「我々」へ
~レアリゼアカデミー発・「知と志のネットワーク」に寄せて~



連載第1回 ポジティブ心理学の「志」と司馬遼太郎(前編)



 歴史作家で評論家の故・司馬遼太郎の稿に、『二十一世紀に生きる君たちへ』という随筆がある。初出は大阪書籍の『小学国語』(平成元年発行)で、子ども、主には小学校高学年の学童向けに書かれた平易な短文である。司馬が「君たちへ」と記したのは、大正12年生まれの筆者がこの稿に筆を落としたとき、己が身は二十一世紀という時代に生き合わせることが出来ないであろうことを痛恨の極みとしながら、未来の「かがやかしいにない手」となる子どもたちにメッセージを宛てたことによる。

今年の春先に、株式会社レアリゼ代表取締役社長/NPO法人日本サーバント・リーダーシップ協会理事長の真田茂人氏より、このコラム寄稿のお話をいただいた。その際、私の脳裏にふと、今一度、司馬遼太郎を読み直さなければならないという考えが浮かんだ。これは、真田氏が掲げた「知と志のネットワーク」というコンセプト、特に「志」という言葉に触発されたことが大きい。そうやって、一昔前に読んだ司馬の作品群からコラムに適切な言葉を探るうちに、この子ども向けの短い一篇を見つけた(再発見した)、というわけである。

司馬は数々の作品で、志を持ち、困難な時代を全身全霊で切り拓こうとした歴史上のリーダーたちの姿を描いてきた。この随筆は、志を育みながら二十一世紀のリーダーとなっていくであろう子どもたちへの応援歌であるかもしれない。私のコラムは、株式会社レアリゼのレアリゼアカデミーでお世話になっている一般社団法人日本ポジティブ心理学協会(Japan Positive Psychology Association、略称JPPA[ジャッパ])の代表としての立場で書かせていただくため、テーマはもちろん歴史ではなく「ポジティブ心理学」となる。

ところが、なかなか稿が進まない。その原因の一つに、私がオンラインや出版物を通して発表するものが、今までことごとく剽窃(ひょうせつ)の対象となってきたという苦い経験がある。それは裏を返せば、私の言説に信憑性を認めてくれている人が多くいるということなのだから、剽窃という罪を犯す者であっても、あるいは寛大な心でゆるしてあげるべきなのかもしれない。しかしそれでは、例えばある女性が凌辱されたとして、それはその女性が美しかったからだ、だから犯人をゆるしてあげよう、という論理さえまかり通ってしまうことになる。

しかし、稿を進める手が鈍っていたのには、もっと深い理由がある。私は、実にほんのつい最近まで、このポジティブ心理学という分野の問う「志」が見えずにいた。続編で詳しく解説するが、分野として公然と掲げられている、達成すべき「目標」ならばある。しかし、その「目標」とは違う「志」が一向に分からずにいたのだ。「志」が見えないことで、ポジティブ心理学と共に自分がどちらに向かって歩んでいけばよいのかが分からず、自分の魂が真っ暗闇の中でずっと耐え難い悲鳴を上げているような状態にあった。しかしそれは言葉に出来ないことでもあったから、自分のこうした状態は自分以外の誰とも共有できずにいた。

私がポジティブ心理学の創始の地、「アイビー・リーグ」と称されるアメリカ東海岸の名門私立大学群の一、ペンシルベニア大学に学びを求めたのは、もう10年以上も前になる。ポジティブ心理学の創始者は正確には数名いるが、その筆頭は、同大学心理学部教授のマーティン・セリグマンという臨床心理学者である。セリグマンと初めて会ったのは、渡米してすぐ、同大学付属のポジティブ心理学センターという研究棟を訪ねたときであった。それまで本でしか触れたことのなかった人物が目の前に実在として現れた感動で、思わず「ドクター・セリグマン(セリグマン博士)?!」という言葉が口をついて出た。と同時に、私の体が反射的に床から数センチ、ポンと跳ね上がったのを、今でも体感としてよく覚えている。

セリグマンは「イエス」と答えた後、そのまま自分の応接室に私をいざなってくれた。その部屋は、研究棟フロアの、少し奥まったところにあった。そして、開口一番、「ドクター・セリグマン」ではなく「マーティ」(マーティンの愛称)と呼ぶようにと言った。ポジティブ心理学の研究仲間が増えて嬉しいなどとも話をしてくれた。それから秘書を呼び入れ、秘書に命じて、私が専用で使える研究室を即座にあてがってくれた。今ではこの研究棟では様々なポジティブ心理学関係の研究プロジェクトが目まぐるしい勢いで同時進行しており、1部屋を3人から4人の研究者ならびに研究アシスタントが机を並べて使っているという過密状態である。当時の1人1部屋というのんびりとした様子はまさに隔世の感がある。

ちょうどその頃、研究棟で出会ったもう一人の人物がいる。近年、日本でも、邦訳書『やり抜く力 GRIT(グリット)』(神崎朗子訳、ダイヤモンド社)の著者として知られるようになったアンジェラ・ダックワースである。彼女は当時、セリグマンの下で博士号を取得したばかりの学生だった。その後、自らの博士論文を膨らませる形でこの本を世に出し、「グリット」の一大ブームを巻き起こすまで、彼女には約10年ほどの沈黙の時間(公人としては多くを語らなかった期間)があるのだが、そんな時代に彼女と交わした他愛ないおしゃべりや冗談などが、これもまた、今となっては隔世の感がある。彼女は今やスーパースターとなり、ひっきりなしに携帯電話で誰かと話しながら忙しそうに研究棟を歩き回り、目的を持たないおしゃべりなど一寸も許されないような雰囲気を漂わせているからである。

ペンシルベニア大学で学んで良かったと思うことがいくつかある。その一つは、セリグマンという巨大なマグネットに引きつけられるかのように、全米から、あるいは時に海外から、主だった心理学者をはじめ、あらゆる分野で優れた業績を持つ研究者や実務家らがペンシルベニア大学に積極的に招聘されていたことだ。セリグマンは、私たち若手研究者にも彼らの知見を共有する場を設け、議論の席へと招き入れてくれた。つまり、一つの場所に居ながらにして、全米の、そして世界の英知に絶えず触れることの出来る環境がそこにはあった。

さて、私が代表理事を務める日本ポジティブ心理学協会は、当時の日本側関係者の尽力もあり、私がまだ留学中の身分であった2011年に創設された。当時は有志の集まりとしてスタートしたのだが、その2年後、国際ポジティブ心理学会(International Positive Psychology Association、略称IPPA[イッパ])から、ポジティブ心理学の教育普及におけるクオリティコントロールの役目を委託するという目的で、世界各国に支部としての組織が指定された。以来、日本ポジティブ心理学協会はその日本支部、という位置づけである。なお、クオリティコントロールという大役については、現在、本部アメリカでも、また日本でも、現実問題としてこれをどう遂行するかという岐路に立たされている状況で、議論が進行中であるが、これはまた別の稿に委ねることにしたい。

アメリカ留学中には、人に乞われて別の法人の設立にも全面的に協力した。当時、その法人の設立に絡み、東京大学で私の講演会を開催してくれた。「ポジティブ心理学、米から日本へ」という見出しが、その講演会を紹介する朝日新聞の紙面に添えられた。私の帰国前には、誰が言い始めたのかは定かではないが、ポジティブ心理学に関心を持つ人々の間で「黒船がやって来る」と揶揄されていたと聞いた。ポジティブ心理学の知識体系を本場から持ち帰った人間として、この分野に対する人々の熱い期待が私の元へと寄せられた。

ただ、そんな人々の熱望の渦に囲まれながらも、私はいつも心のどこかで一人言い知れぬ「空しさ」を抱えていた。6年という年月をかけて、ポジティブ心理学の本場で、第一線で活躍するポジティブ心理学者たちに師事した成果として、知識や資料、そして研究データだけは確かにしっかりと持ち帰った。しかし、何かそこに肝心なものが伴わずに、まるで今までの歳月に裏切られるかのようにして帰国の途に就いてしまった。

帰国後は人々に求められるままに動き、日々目の回るような忙しさであったが、本来であればありがたいはずのそんな忙しさですら自身の心の空虚さを埋めてはくれなかった。この空虚さが、ポジティブ心理学を求める人々に応える(あるいは応えようとする)自分がいる一方で、自分からは決してポジティブ心理学を求めていないことに起因しているものだと気づくまで、さほど時間はかからなかった。

こう書いて、私をよく知る人からすると意外に思われるかもしれない。実際に、協会で、私のポジティブ心理学の講義を受講してくださった生徒さんたちからのフィードバックシートには、自身の抱える空しさなどとは真逆の、「熱い講義」「宇野先生のこみ上げるポジティブ心理学への思いがすごい」「話が止まらず、終了時刻を過ぎても誰も席を立たない」といった言葉が並んでいたからだ。

こうした外的評価に反して、なぜ自分はポジティブ心理学を求めていないのか?この問いに対する答えは、しばらくの間、その手掛かりすら皆目見当がつかずにいた。それがまさに、この度のコラム連載にあたり、真田茂人氏から「志」という言葉を強く想起させられたことが、答えを見つける突破口への糸口となってくれた。

(文責)一般社団法人日本ポジティブ心理学協会代表理事/筑波大学研究員 宇野カオリ

(連載第2回に続く)