真田コラム

「単純化する」ことの功罪(6月7日ニュースレター掲載分)

多くの人に話を伝える時に、話を単純化することは効果的です。
複雑で入り組んだ話をそのまま伝えようとする試みは、
大抵失敗に終わります。
何故なら、複雑な話を理解するには、脳に相当な負担を強いるので、
人はよほど興味のあるテーマでなければ、複雑な話を好みません。
わざわざ理解したくないし、聞きたくもないのです。
 
そういった人たちに話を聞いてもらうには、
話を単純化する必要があります。
「黒か白か」「善か悪か」二元論で考えることはその典型です。
「郵政民営化に賛成ですか?反対ですか?」と言って
小泉元首相は国民の熱狂的な支持を得ました。
 
しかし一方で、話を単純化することには大きな弊害があります。
それは、本当のことが伝わらないことです。
あの民営化は正しかったのか、どう意味があったのか
未だに理解できていない人は多いのではないでしょうか。
現代社会の問題は複雑で込み入っているのです。
本当は、二つにパンッと割り切れるものではありません。
 
先日、白熱教室で人気のマイケル・サンデル教授の
特別講座に出席しました。サンデル教授は問います。
「原発再稼働を考える時、地元の意見と国の意見、
どちらが優先されるべきですか?
さあ、皆さんの考えを意思表示して下さい。」
こういう風に単純化されると分かり易いし、爽快感すらあります。
 
しかし、ちょっと待って下さい。地元ってどこのことでしょう?
原発が立地されている町のことでしょうか?
あるいは県のことでしょうか?
あるいは隣県を含めた地域のことでしょうか?
相手によって様々な立場があります。
町と県の意見が違うことは多いにありうるでしょう。
ですから、本当は「地元vs国」という単純化した議論はかなり乱暴であり、
この議論だけでは意義のある結論に至らない可能性があります。
 
勧善懲悪の時代劇ではなく、芸術性の高い人間ドラマを見ている時に、
子供に「ねえねえ。どの人がいい者?どの人が悪者?」
と聞かれたらどう答えるでしょう。
「そんなに単純な話じゃないんだよ」と言うしかないと思います。
 
発信する立場では「単純化」は有効な武器となりますが、
受け取る立場の時は、単純化の裏にある複雑性を想像することが、
現代を生きる私たちには必要だと思います。

更新日: 2012年 06月 15日

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