サーバントリーダーシップ

人を活かすサーバント・リーダーシップの力 vol.11 生物学から見たサーバント・リーダーシップ

■親切の連鎖  

日本には「情けは人のためならず」という諺があります。これは「他人に情けをかけておけば、めぐりめぐって
自分にもよい報いが来る」とか、「人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」という意味です。自分が親切に
したその人が、今度は別の人に親切にし、そのような「親切の連鎖」が人々の間をめぐりめぐって、いつかは自分も
誰かから親切にされるだろうという考えです。  

二宮尊徳が唱えた「たらいの水の原理」も同じことを言っていると思います。「たらいの中の水を、欲を起こして
自分の方にかき寄せると、向こうに逃げる。人のためにと向こうに押しやれば、我が方に返る」  

世の中はシステムでつながっているので、自分一人がいい思いをすることはできない。自分が「いい思い」をしようと
思えば、周りの人に先に「いい思い」をしてもらった方が結局自分のためになる。このような考え方は、
私たち日本人が昔から持っているものです。

 

■利他学  

サーバント・リーダーシップの核は「サーバント・ハート」。日本語で言えば、「利他の心」です。  

実は、生物学の中に「利他学」という分野があるのですが、ご存じでしょうか。「利他」を生物学の観点で
ながめると、面白いことがわかります。  

『利他学』(名古屋工業大学大学院准教授小田亮著、新潮選書)によると、人を含めて全ての生物は自然淘汰に
さらされているので、遺伝子を次世代に伝えられるように、他の個体に比べて少しでも得をする行動を選択する
ようにできています。つまり本来「利己的」な存在なのです。ですから「利他行動」とは、女王蜂に尽くす働き蜂の
ように、自分が損して相手を助ける、つまり自分の適応度を下げて相手の適応度を上げる行為であり、自然淘汰に
反する行動なのです。しかし、実際に「利他行動」が世の中に存在するということは、「利他行動」は生命の
発展と共に「利己行動」が進展した結果と考えられます。  

親が子に利他行動をするのは、子が自分の遺伝子を持っているからです。しかし、血のつながらない子を育てたり、
赤の他人に親切にするのは、どうしてでしょうか。それは、人間社会が「互恵関係」にあるからです。  

お互いに利他行動のやりとりがあることを「互恵的利他行動」と言います。つまり「お互いさま」の精神のことです。
ところが、実際には、私たちはお返しが期待できない相手にも利他行動を行います。どうしてでしょうか。
これは、他人を助けることは、その相手からは直接のお返しがなくても、「互恵関係の社会」では、廻り回って、
全く別の人から間接的にお返しがあるかもしれないという「間接的互恵性」を私たちが信じているからです。

 

■奉仕したいという自然な感情  

こう考えると「互恵関係の社会」において、「究極の利己は利他である」とも言えるのです。利己を徹底的に
追求していくと、自分一人ではどうにもならない所に行き着きます。世の中では多くのことが他人の力を
借りないとできません。そうすると、他人の力を借りようとすると、先に他人に奉仕することが必要となります。
これは自分のために他人に奉仕しているのです。「自分を犠牲にして、他人に奉仕する」なんてことはいやな人も、
「自分のために、他人に奉仕する」のであれば、感じ方が違うでしょう。  

もちろん、実際に人に奉仕するときにこういったことをいちいち頭で考えているわけではありません。
もっと本能レベルの行動といっていいでしょう。しかし、自分では気づかなくても、人間の内面にはこういった
思考回路が潜んでいるのです。つまり、私たち人間は「利己」であるが故に「利他」であり、「まず奉仕したい」と
考える存在なのです。それは自然な感情なのです。それにも関わらず、サーバントな行動を取れないとしたら、
その人は人間社会の「互恵関係性」に対する認識が薄いのだと思います。  

実際、個人主義の強いアメリカではそういう傾向があります。アメリカで行われる人材開発や組織開発の会議や
研究会に出ると、時々驚くことがあります。それは、日本人にとっては説明の余地のない当たり前のことを、
さも「天下の大発見!」であるかのように紹介しているからです。  

そのうちの一つが、「私たちは関係の中に生きている」という事実の説明です。そのくらいに、アメリカ人は
個の意識が強く、他人との関係性の意識が比較的低い傾向にあるのかもしれません。しかし、私たち自身は社会の
一部であり、お互いに相互依存していることは否定のしようがない事実なのです。

 

■地獄の光景、極楽の光景  

こんな話があります。仏教では、人は死んだら極楽か地獄に行くとされています。ところが、地獄も極楽も実は
同じ景色で、パッと見ただけでは何も変わらないのです。大きな違いは、住んでいる人の「心のありよう」と
「人との関係性」なのです。  

地獄と極楽に共通している景色とは、それぞれ、大きな釜があることです。この大釜で、なんともおいしそうな
うどんを作っているのです。ところが問題は、それを食べるためのお箸が、なんと1メートルと極端に長いのです。

地獄の光景です。地獄の住人たちは、われ先にとうどんを食べようとするのですが、お箸が長すぎてうまく
食べられません。うどんをお箸でつかむことはできるのですが、長すぎて口元に持っていけないのです。  

いら立つ地獄の住人たちは、他人がつかんだうどんを横取りしようとします。攻撃された者は当然猛反撃に出ます。
そうやってもみ合い争う内に、うどんが飛び散り、地面に落ちてしまいます。結局誰もうどんを食べられない
のです。おいしそうなうどんを前にして、皆が空腹を抱え、飢えてやせ衰えていくのです。これが地獄です。  

一方は、極楽の光景です。極楽の住人たちは、皆、自分の長い箸でうどんをつかむと、自分が食べようとする
のではなく、まず釜の向こうにいる人の口へと運び、「お先にどうぞ」と食べさせてあげるのです。  

そうすると、先にうどんを食べた人も、「ありがとう。今度はあなたがどうぞ」と、お返しにうどんを食べさせて
くれます。こうして極楽では皆が仲よくうどんを食べることができる。これが極楽です。  

つまり、同じ現実世界に住んでいても、「心のありよう」と「人との関係性」次第で幸せになることもできれば、
何ともみじめな思いをすることもあるのです。サーバント・ハート(利他の心)を持って人と接すればこの世は
極楽になりますが、逆だと地獄になるのです。

 

 

更新日: 2013年 01月 10日

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