中竹 竜二 氏(早稲田大学ラグビー蹴球部/監督 -2008年当時- )のケース

中竹 竜二 氏(早稲田大学ラグビー蹴球部/監督 -2008年当時- )のケース

早稲田大学入学と同時にラグビー部に入部し、四年時には主将を務める。大学卒業後イギリスに留学し、レスター大学大学院社会学部を修了。帰国後は三菱総合研究所に入社し、そのかたわら社会人ラグビークラブ・タマリバのヘッドコーチを務める。2006年、清宮克幸の後任として早稲田大学ラグビー部の監督に就任。就任二年目にはチームを優勝に導くが本人は「二年目に優勝できたのも、僕が監督として一流だったからではありません。間違いなく、学生に勝たせてもらったと思っています。僕のような素人の監督を、よくぞ監督にしてくれたな、という思いがはっきりとあります。三年目の勝利も、勝たせたというより、一緒に勝ったな、という気持ちでした。監督と現場が一緒に頑張って勝ったな、という感じです。」と語る。同ラグビー部監督退任後はU20日本代表監督、日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクターを務める。

リーダーと組織の信頼関係があれば、リーダーが間違えてしまっても組織はうまく回っていきます。

前監督である清宮さんと僕の監督のスタイルというのは、随分違います。清宮さんの監督のスタイルは非常にわかりやすいです。トップダウンの強烈なリーダー。清宮さんという一番力を持っていて優れている人がいて、その人の言うことに従えば組織は絶対にうまくいく、という信頼を誰もが持っていた。完全に一本筋の通った組織だったように思います。誰もが納得のいくやり方です。

これが出来るというのは、凄いことだと思います。誰もが憧れるスタイルです。ですが、そこを目指すと、普通の人はだいたい失敗してしまいます。それだけのことができる人は世の中にはそうそういません。清宮さんのやり方は、ある意味多くのリーダーが憧れる姿だったように思います。ただし、このリーダー像はわかりやすくて簡単な分、一番罠に嵌りやすいパターンです。自分の言うことを聞いてもらう、というのは、その言葉が正しければうまくいきますが、実際は間違っていることがほとんどです。

清宮さんにしても、時々は間違ったことを言います。ただ、間違いを凌駕するくらいの別の力を持っているのです。
清宮さんが学生たちから絶大な信頼を得られたのは、やはり監督としての手腕が完璧だったからでしょう。僕も色々なラグビーの指導者と会いましたが、清宮さんはあらゆる点で天才的な力を持っていました。戦術を考える頭脳、敵を見抜く力、選手を見抜く力、選手のモチベーションを上げるための言葉……どれも、普通の人では真似できないものでした。まさに清宮さんはカリスマというか、能力的に格が違うように思います。

「日本一オーラのない監督」

それに対して、僕のスタイルのキャッチフレーズは「日本一オーラのない監督」です。トップダウンのやり方は、僕には向いていませんでした。むしろ、自分が一番下にいるような気持ちで、いかに選手達やコーチ達に頑張ってもらうか、というところに集中しています。これは早稲田の監督の就任のときからではなく、現役時代からの僕のスタイルです。基本的に人に命令をしたり、上から指示を出すということが凄く苦手だったので、トップダウンのやり方はそもそも選択肢にはありませんでした。ですから、今の自分のやり方に対する迷いはほとんどありません。僕の信条として、「リーダーはぶれてはいけない」というものがあります。周りの風評や引力に引きずられてはいけないのです。選手にもよく言いますが、まず自分自身をよく知らないと、どこを目指すこともできないように思います。現時点で自分がどこに立っているのか。自分はどういう人間なのか。そういうことを知らずにしてゴールだけを目指すのは、そもそもありえません。

これはスポーツだけに限らず、企業でも同じです。トップダウンで命令していったり、威厳を示さないと、舐められてしまって組織の統制が取れなくなるのではないか。そう感じる方も多いと思います。ですが僕は、別に舐められてもいいと思っています。 リーダーが考えなくてはいけないことは、自分が尊敬されることや自分の言うことを聞かせることではありません。選手が良いパフォーマンスをして、チームが勝つことです。そこで自分がどのように思われているかは全く関係のない話だと思います。究極的には、個人的な感情に囚われず、チームとして成長できるか、勝利できるか、といったことで判断すればいいのです。

ただ、これはどれにでも当てはまる話ではありません。企業の社長や部長など、さまざまなリーダーが自分の部下に何を求めているか、自分自身は何を求めているか、その考えの数の分、答えがあります。理想や目的によって、手段は変わってくるのです。リーダーは尊敬されるべきか否か、トップダウンしないといけないかという議論は、全て個別問題であり、そもそもそこの手法だけを取りだして議論するのはおかしいように思います。「リーダーとは」という問いに、本来なら様々な答えがあるはずなのに、同じ答えを出そうとするのが混乱の原因のような気がします。

僕が経験したものや知識は、出来る限り共有してもらい、僕は何もしなくていい状態が一番の理想の組織だと思っています。

世の中にはさまざまなリーダーシップ論がありますが、僕のリーダーシップ論は、「自分が
どういう人間であるか」「組織のゴールは何か」ということをきちんと定めることだと思います。ラグビー部の監督の仕事は、極端に言えば人間教育でもないし、人気を上げることでもない。勝つことだけです。勝つことを明確な目標にして、リーダーシップをとっていきます。

僕はあまり戦術を考えられない人間なので、考えられる人を連れてくる。選手が頑張れるような環境を用意する。その中でそれぞれ自分の力を発揮して頑張って貰う。僕はそれを何もしないで見ているという、そういう形のリーダーシップしかないと思っています。

ここで、戦術論に踏み出していくと絶対失敗してしまいます。「僕にしかできないこと」は、ほぼないようにしています。組織のリーダーは責任も多いし決断しなければならないシチュエーションも多いので、リーダーはどんどん成長する。そうしていくとリーダーだけ情報が溜まっていって、下に落ちていかなくなり、リーダーとそれ以外が離れてしまう。

僕自身は、僕が経験したものや知識は、出来る限り共有してもらい、僕は何もしなくていい状態が一番の理想の組織だと思っています。いまだによく、「明日練習行けないんだけど」というと、「あー、来なくてもいいです。いてもどうせあまり変わらないんで」と軽く言われます。この返事は、僕にとって最高の返答です。安心して任せて、心おきなく別の所に向かうことができます。「自分が采配を振るってこそ自分の権威が保たれて、自分の満足感を得られる。だからそれを手放したら、満足できなくなってしまう」……そういう思いは、基本的にありません。自分にしかできないことを減らしていけば、他のみんながやってくれます。能力的に考えても、僕がやるより他の人がやった方が良いケースが多いです。

もはや組織は一人の力では変わりません。世の中自体が逆境の今、「リーダーに頼らなくても一人一人が頑張るフォロアーを育てよう」ということになってきているのではないでしょうか。

多分、今多くの企業が考えていることは、僕からすると「フォロアーシップ」ではないかなと思っています。多くの企業が、「自立型人間」を育てたいと口を揃えていっています。このことは、ようやく組織がリーダーではなく、フォロアーに目を向けてきたような印象があります。これまで組織がうまくいかなかったり、新しいことをやろうとすると、全てリーダーの能力に着目されていました。リーダーが良い人間を連れてきたり、育てれば組織はうまくいくと思われていたのです。ですが、もはや組織は一人の力では変わりません。世の中自体が逆境の今、「リーダーに頼らなくても一人一人が頑張るフォロアーを育てよう」ということになってきているのではないでしょうか。

この傾向自体が当然ですし、むしろ遅かったなという気もします。これまでリーダーシップだけで組織が変えられたのは、時代が良かっただけです。また、そもそも、以前は、自立型人間を会社が求めていなかったと思います。本音を言えば、「自分たちで考えて勝手にやる人は嫌だ」だったのではないでしょうか。

僕が自分に言い聞かせているのは、フォロアーシップとは百人いるフォロアーの中の一人をいかに本気で育てるかということ。百人集まったら組織がどうなるかを考えなければいけません。リーダーシップを考えるよりも百倍かかるわけです。早稲田のラグビー部で言うと、部員が百三十人、コーチやスタッフを入れると百五十人くらいいる。だから、フォロアーシップを発揮するために、百五十個のプロジェクトを同時にやっているような気持ちです。

リーダーシップが一つあれば、これからもその一つの大きなプロジェクトに乗ってうまくいくかもしれない。ですが、「みんなで百五十個やる」というくらいの気概がないと、人は育たないのではないかと思います。人を育てるために僕のやり方はフォロアーシップを重視するようになったし、それくらい人を育てるとか変えるというのは大きな問題だと思います。

大事なのは、それくらい大変なのだ、という覚悟を持って臨むことだと思います。

書籍「組織づくりの教科書」真田茂人 監修/起業家大学 著(起業家大学出版)より抜粋