L.E.T. (Leader Effectiveness Training)の専門家 辻 達諭氏と弊社真田との対談
L.E.T. (Leader Effectiveness Training)の専門家辻 達諭(つじ ...
大澤 千恵
スクール・モットーである「地の塩、世の光」。
それこそがサーバントリーダー。
そのような人材を輩出し続けることが青山学院の使命です。
大学で教鞭をとる傍ら、社会的な活動として、満期釈放を迎える受刑者への社会生活を送るための教育指導をはじめ、府中刑務所の教誨師として月1度ほど、受刑者への面談や講話を行う経験を持つ。
主な著書に「忘れ物のぬくもり―聖書に学ぶ日々」(女子パウロ会)、青山学院大学の人気授業「キリスト教概論・Q&A」が書籍化された「なんか気分が晴れる言葉をください-聖書が教えてくれる50の生きる知恵」(保育社)など、他多数。
※部署・役職はインタビュー当時のものです
大ボスは部下をあごで使い、リーダーは指導する。
ボスは権力に頼り、リーダーは善意に頼る。
ボスは恐怖をあおり、リーダーは情熱をかきたてる。
ボスはいつも自分本位、リーダーは全体のことを考える。
ボスは仕事を命じ、リーダーは自ら模範を示す。
ボスは「時間通りに集まれ」と言うだけ、リーダーは 時間前に行って待っている。
ボスは物を壊すととがめ、リーダーは壊れた物をなおす。
ボスは仕事のやり方を口で言うだけ、リーダーは実際 にやってみせる。
ボスはあくせく仕事をやらせるが、リーダーは楽しく仕事をやらせる。
ボスは「これをやれ」と命令し、リーダーは「これをやろう」と促す。
何事にもリーダーは必要だが、ボスはいらない。
真田:塩谷先生が「この方はサーバントリーダーだな」と思う方はいますか?
塩谷:先ほど「地の塩、世の光」というひとは、目立たないと申し上げましたが、あまり有名な方はいないのではないか?という気もしています(笑)。
そしてお別れしてその方の偉大さに気が付くというのが、サーバントリーダーだと思います。
例えば、どんなに失敗しても必ず励ましてくれた先生ですね。
わたしは小学4年生の頃、学校でも不適合でうまくいかず、問題を抱えていました。ですが、ひとりの女性の先生がなぜか「大丈夫だよ、これからのあなたに期待していますからね」と、繰り返し言ってくれたのです。
あるとき、先生がほかの生徒をわたしと同じようにほめていて、ジェラシーを感じまして(笑)。
わたしはその様子を教室の後ろのほうで見ていたのですが、おそらく先生はわたしの嫉妬の炎を感じたんでしょうね。
先生がわたしのほうをみて「塩谷くんの黒髪はきれいだね」と言ったんです。
そのとき、すごくうれしくて「はい!わかめ食べちょります!」と(笑)。
そしてそれから、わたしは宿題をするようになりました。この先生に宿題を見せたいと、自分で課題を出してするようになりました。
さらに遅刻もしなくなりました。それまでは“遅刻の王様”と呼ばれていたんですよ。
この先生が教えてくれたことは、「人間が変わる時に、努力はいらない」ということです。
だれかが本当に自分を認めてくれた時に、ひとは変わるんです。
シフトチェンジができるんですね。
そしてそのときわたしを本当に照らしてくれた先生がそのひとです。この先生の光によって、わたしが輝いたことは間違いのないことなのです。
無名だけれども、みなさんにとってのサーバントリーダーが、きっとみなさんの近くにもいるのではないのかな、と思います。
塩谷:わたしがサーバントリーダーシップを考える上で、わかりやすいイメージは「キャンプリーダー」なんです。優れたキャンプリーダーはサーバントリーダーであると言えます。
キャンプリーダーの特徴は3つあります。
ひとつは全員を無事に帰宅させるということ。そんなところに努力や根性はいらないですよね。ふたつめは、できればメンバーを成長させる。キャンプの間にほんの1歩でもいい、成長させるということ。
3つめは、「ありがとう」を言える人間になる、ということです。
さまざまなキャンプに参加すると、なにも言えない子っているんですよね。
そういう子の生活訓練から行います。
最初はいやいややっていた子が、最後の日に「ありがとう」ってぼそっとでも言えたら、成功です。
人格関係を結べた、ということなんですね。
もっと言うと、子どもたちが「ありがとう」と言われる人間になることです。
ひとは、「ありがとう」と言われたときに、「あ、自分は役に立っている」、「価値があるんだ」と認識でき、居場所ができるのです。
子どもたちの心細さのひとつに挙げられるのは、「居場所がない」ということ。
それは、大学生も同じです。
ですが、何かの行為で「ありがとう」と言われたときに「自分はここにいていいんだ」と思えるようになるんです。優れたキャンプリーダーは、メンバーに対してそういった出会いを引き起こしていきます。
真田:「居場所がない」という言葉は、現代でよく聞く言葉ですね。そういった辛さを感じているひとが多い気がします。
塩谷:子どもよりも、大人のほうが深刻かもしれないですね。
もし難しい課題に直面したとき、あまり真剣にやりすぎない、ということがポイントなのかもしれません。
キャンプは1泊か2泊で終わります。
例えばおいしいカレーができなかったとき、「こんなカレーじゃだめだ!」ってひっくり返してはだめですよね(笑)。
おいしいカレーが食べたければ、家で作ればいいんですから。「これもいい思い出ですね」と、「同じ釜の飯」を食べられる度量が必要です。
一球入魂、もしくは一点集中。
ひとつのことに集中すると周りが見えなくなってしまう「ネコ型」の方は、サーバントリーダーには向いていないのかもしれません。
サーバントリーダーは一番下にいるのですが、目は鳥の目、俯瞰することが大事ですよね。言い方を変えますと、「真面目」はいいのですが、「くそ真面目」はだめです。
「くそ真面目」な方は、全部自分で計画を立てます。それだと神様が入る余地がないのです。
信仰というのは、この世界やわたしたちの生活のスケジュールに、神様が入る余地を残しておく、ということです。予定変更や想定外のことが起こっても、受け入れる用意をしておく、ということですね。
真田:自分がすべて計画できる、自分が全部できると思ったら、その余地がないわけですよね。人間は不完全なものであって、すべてを計画することもコントロールすることもできない、ということを理解する。ということですね。
塩谷:そのことを優れたキャンプリーダーは理解しているのです。「自由でいいんじゃない?」と。
経験を活かし、とにかく安全を考え、かつ子どもたちの成長を考えるということを、優れたキャンプリーダーはしっかりと理解している、ということですね。キャンプは完全を求めたらだめなんです。
むしろ予定通りではなく、想定外の出来事が成長や宝を与えてくれると信じています。
真田:キャンプに限ったお話ではなく、完全を求めないその先に、想定外の宝があるということは様々なことに通じていると、お話を伺っていて感じます。
例えば、今、スポーツ界でいろいろな問題が起きています。今問題になっているひとたちがやっていることと、箱根駅伝4連覇を期待されている青山学院大学 陸上競技部 長距離ブロックの原監督がやっていらっしゃることが、真逆のように見えます。
お話を伺っていて、安全に最大限に配慮しながら完全を求めず、少しの余地を残した先に、成長や宝があるということが、とても共通しているなと感じたのですが、いかがでしょうか?
塩谷:原監督がよくいっているのは「スポーツができる以前に、ひとりの社会人であることを忘れるな」ということです。 わたしの知る限り、陸上競技部の選手は授業を休みませんし、遅刻もしません。成績も優秀です。それが前提で陸上をする、ということが大切なんです。
どんなにスポーツができても、社会人として、人間としてどうしようもなければ、彼らは生きていけません。
まず社会人としてきちんとする。それからスポーツをする、ということですね。
そして、勝つか負けるかもとても大切なことなのですが、わたしたちは必ず敵のために祈ることも忘れません。
一緒にレースをする仲間がいたからこそ、わたしたちも全力を出せるのです。
真田:敵ではなくて、同じレースに参加をする仲間なのですね。
塩谷:そうです。自分たちを高めてくれる仲間ですよね。
そして、けがをするなど、いろいろな形でレースに出られなかったとしても、そこでしか深められない経験がある、ということです。
レギュラーに選ばれなかった選手のほうが、圧倒的に多いんです。部員が増えれば4年間、一度もレースで走れなかった選手もでてきます。
ですが、そこで深められたことを大切にすること。そしてレギュラーの選手は、感謝を忘れないこと。
そのようなことを膨らませていくと、「走る」ということにまつわる、人生のもっと豊かな側面が見えてきます。
今のスポーツ界において、勝利至上主義の中でさまざまな問題が噴出しているのは、ある種の「くそ真面目」結果だと、わたしは思います。人間の力だけではどうにもならないものがあります。限界を攻め、勝利を祈ります。
すべて自分で計画して、その計画が崩れた時、わたしたちの想像を超えた神様が入る余地がない状態だと、勝つためにやってはならないことに手を染めるのではないかと思いますね。そもそも日本の教育は「追いつめて伸ばす」というものなんです。死んでも逃げるな、という教育観があるからです。「逃げないことで成長する」という教育を受けてきているので、逃げられないのです。
真田:日本人特有なのかはわかりませんが、そういった感覚はありますよね。
「逃げるのは、卑怯者」だという刷り込み、固定概念がありますね。
塩谷:逃げ道はいくらでもあるよ、ということをきちんと伝えなければいけません。聖書の中には逃げていくひとがたくさん登場します。聖書は「逃げていいよ、そこにも神はいるから」と伝えています。
学生たちは「逃げられない」ことに苦しんでいます。「逃げていいんだよ」と伝えた時に、どれだけほっとしたことかと、よく学生たちが言います。
少し話がずれますが、男女のお付き合いにしても「長くお付き合いをすることが目標ではない」ですよね。それは目標ではなく、結果です。嫌ならやめたらいいじゃないですか。人生は短いです。
アルバイトも同じことです。辞めることを悪だと考え、辞められない学生が多いのですが、いろいろなことを経験して、経験値を上げていったほうがよいと思うのです。もちろん忍耐して自分を伸ばすということは素晴らしいことですが、あおりすぎるとそこに縛られ苦しむ若者たちがたくさんいる、ということなのです。
真田:若いひとたちが雁字搦めになり、追いつめられているという現状はとても残念なことですね。
今のお話は、ひとの成長や人生に対する見方だと思うのですが、それは塩谷先生だからこういう見方を獲得されてきたのか、聖書に基づいているからなのか、それとも青山学院の方針なのか。そのあたりはいかがお考えですか?
塩谷:わたし個人の意見だと思いますが、青山学院の教員として、学生とふれあう中で獲得したものであることは間違いありません。
「今、学生たちに何を伝えたらいいのか」という思いから、生まれたものです。
サーバントリーダーシップは素晴らしい考え方ですが、トップがいうと、下の人々は非常に辛い立場に立たされます。「奉仕しなければならない」と、強制されるような印象を受けてしまいます。
誰が、どの場で語っていくかということは、とても重要なことだと思います。
真田:青山学院が掲げる「AOYAMA VISION」で「サーバントリーダーの育成」を、今後さらに深めていくために、こういうことを実施していくなど、方針がございましたら、最後にお聞かせいただけますか?
塩谷:こちらも宗教的なことになるのですが、礼拝のことを「サービス」と言います。
わたしたちが神にサーブする。また、神がわたしたちにサーブする。それが土台となっていきます。
神が愛された一人ひとりを同じように大切にしていく、そこから生まれていくものを大切にする。
単にサーバントリーダーの内容を具体的に教えていくということだけでなく、土台となるものを地道に伝えていくこと。時間はかかりますが、青山学院が140年間やってきたことを継承していく、ということです。
変化する時代の中で、大切なものを守っていくということは難しいことです。
どんな老舗も時代に合わせて、何かを変化させていかなければならない。
そのような中でも「これを変えてしまったら、もうわたしたちではない」という核心を大切にしていきたいと考えています。
真田:一番の根幹となるところですね。青山学院がずっと発展されるということは、世の中にサーバントリーダーが送り出され続けるということですね。
塩谷:そうですね。そのことこそが青山学院の使命です。
「地の塩、世の光」としての人材を輩出するためには、わたしたち自身がまず「塩と光」にならなければならないですし、そしてまたそのような人材である卒業生が社会に巣立っていくということは、変わらない使命であるとわたしたちは考えています。
真田:今日は本当に素晴らしいお話を、ありがとうございました。
塩谷:こちらこそ長時間、ありがとうございました。
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